「人」と「場」をつなぐコミュニティメディア『はにふみ』の編集長、ミフミが、「場」の取材を通して感じたことを徒然なるままに綴ります。
episode2. バベルとジェンガ
世界中でバラバラの言語が使われているのは、かつて人間が神の怒りを買ったからだそう。そう、あの有名な旧約聖書「バベルの塔」の話だ。かつて、天まで届く塔の建築を目指した人間たち。その高慢さに激怒した神。そうして、お互いの言葉が通じないように言語が散らばっていった、というお話。
現代・コミュニティ神話
さて、翻って、現代・日本。「グローバル化」なんて響きが古臭く聞こえるほどには、多様なルーツを取り込んでいった社会の中で、コミュニティが持つ役割は大きい。神の思惑通りに「言葉の壁」がそのまま「心の壁」になり、本来手を取り合うべき人間同士が混ざり合わないのは、とても残念なことだと思うから。
そう思ったきっかけは、先日の「hito-hata」でも紹介した国際交流コミュニティ「mixr」の取材だった。
ゲストハウスの一角で
彼らの母国語は、バラバラ。言語レベルもそれぞれで、会話をよく聞くと日本語と英語と(たまにポルトガル語?)が入り乱れていた。それでも、彼らは通じ合い、笑い合っていた。
英語でお題の書かれたサイコロを振り、誰かが通訳しながら、お互いの性格や趣味・エピソードを明かしていく。「何が出るかな」なんて、楽しそうに覗き込んで。ソフトモヒカンのおじさんもライオンの着ぐるみもいないけど、みんなでその場を盛り上げていた。
ひとしきり話すと、今度は誰かがジェンガを持ち出して、遊び出す。
「そこは危ない」とか
「ここならいけるかも」とか
いろいろな言語でコミュニケーションしながら、高く積み上げていく。とうとう誰かが崩してしまえば、みんなで笑って、また組み直す。
ローカルなゲストハウスの一角で、到底、天まで届くはずのない小さな塔が、何度も何度も作られて。
これは人類の新たな挑戦なのだ!と、
大袈裟なことを考えていた。